音楽とアウトドアが混ざり合ったとき、温もりが生まれる。2023/12/08

自信を完全に失っていた、あの頃

北海道江別市で育ち、大学へは行けずにアルバイトしながら何となく生きていた当時の僕は、特技や継続して続けてきたことなど何も無く、平々凡々な高卒の男だった。そんな僕にとって社会はまるで先が全く見通せない、ただひたすらだだっ広い砂漠の様に感じていた。
何のために働いているのか分からない状況がもどかしく、そんな状況をどう変えれば良いのか見当もつかず、そんな日々を過ごしていく中で自信までも時間と同時に失っていく感覚だった。
「とにかくどうにかしたい」「このまま無気力に流されるがままの生き方はいやだ」
そんな言葉が頭と心を行ったり来たり。
そんなある日、アルバイト北海道という雑誌を眺めていた時に発見した「リバーガイド/見習い募集」
何かが変わるかもしれない。。。そう思い、応募した。

リバーガイドとしての生き方が何かを変えてくれた

そこから始まった、川と供に生きる生活。
その当時は「ラフティング・ガイド」としてトレーニングを受けて、大きなゴムボートにお客様を乗せて急流を下るお仕事。
それは、とてつもなく衝撃的な世界だった。
急流を安全に、そして楽しくガイドする。
とてつもなく大きな責任もあり、人間の力など全く及ばない自然相手のお仕事はどこまでもチャレンジングで、無我夢中になれて、新しい世界が開けていくのを日々感じることができた。
「この生き方が好き」
そんな風に思っていたのと同時に、「自分にはもうこれしか無い」とも思っていた。
何をとっても、どこをどう見ても、平々凡々で学歴もお金も無いただの男であることに変わりはないからだ。だけど、一緒に川を下る人達がとても楽しそうに、そして無邪気に満面の笑顔になってくれることが何よりも嬉しく、その瞬間には自分の存在価値を感じることができた。

リバーガイドを始めてから数年後にラフティングの仕事を求めてカナダへ。
そこでは、言葉も通じなくて川のレベルも高くて、数え切れないくらい悔しい思いをした。
自分の英語力には根拠の無い自信があったけれど、粉々に打ち砕かれながら必死に食らいついていった。仕事も環境も信用も何も無い。行った当時は何かを保証されていたわけでもなく、滑り込んで、しょうがないな~という感じで、何とか入れてもらえた。そこでは日々、自分に何が出来るのかを証明し続けなければ追い出されてしまう状況。
それは今思えばとても刺激的な経験だった。
緊張感をもって仕事する一方、オフにはみんなで歌って楽器弾いてお酒を飲む。

表現したい、伝えたいことがあるんだ!

川と音楽とたき火。
それがリバーガイドとしての生き方だった。

僕は今では乗り物をラフティングからリバーボードに変えてリバーガイドを続けています。
当時の数々のストーリーはこちらからご覧ください!→リバーガイドとしての生き方

音楽と川を繋げて、伝えたい何かがある。表現したい、形にしたいことが心の中にある。
それってきっと、この当時のように川と音楽が密接に繋がり、交差しながら人と人が心を通わせる中で生まれる温もりなのかもしれない。
今は東京の西側の青梅市を流れる多摩川で活動しているけれど、ここではまだ川と音楽を交差して、そういう場を、そういう世界を、僕はまだ表現できていない。
曲は書いて歌っているし、川も下っている。だけど何だかまだ一つになっていない。。。
もどかしくもあり、力不足も感じながら、でも必ず形にしたいし表現したい。

今こうして、あなたにこの記事を読んでもらえていることが嬉しいし、とても有り難く思っています。これからも表現し続けて、芸を磨き続けて、そしていつか世の中をアッと言わせたい!
どうか、応援よろしくお願いします!

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