川と人と音楽。

北海道江別市で生まれ育ち、高校を卒業して1年後に実家を出て、アウトドアスポーツの世界へと飛び込んだ。
高校時代に腰を怪我してサッカーの道を断念……。
中学の後半から高校時代は特に、どん底の時期でした。
色んな事があり、完全に自分の自信を喪失していて、どうすればこの状況を抜け出せるかを考え続けていました。
そんなときに、ビートルズを聴いて、少しずつギターを弾くようになりました。
そこからエリック・クラプトン、ロバート・ジョンソン等の戦前ブルース、ブエナビスタ・ソーシャルクラブ、カルロス・サンタナ、フラメンコ、ジャンゴ・ラインハルトやチャボロ・シュミットのジブシージャズを聴き漁り、それらの音楽の世界にどっぷりと浸かっていました。
音楽の中に生きていくヒントを探していた
ブルースやフラメンコやラテン、ジブシー音楽に傾倒していったのには、自分のどん底だった状況もあり、それらの音楽の中に生きていく上でのヒントや希望を見いだそうとしていたのかもしれません。
それらのどの音楽にも哀愁があり、尚且つ自分の中の葛藤を訴えかけるものがあるんです。
自分の中にある葛藤や上手くいかないもどかしさや叫びを代弁してくれているかのような感覚。
そのころから、ノートのページを埋め尽くすように、心の中にある言葉を殴り書くようになりました。
歌詞を書くと言うよりも、思ったことを思ったまま言語化していく事で、心が少し晴れていくような感覚がありました。
高校を卒業後、アウトドアの世界へ
自分の心が自然の中で生きたい!という叫びを発していた。
高校卒業後は、1年ほどアルバイトを転々としながらも将来の希望も見いだせずに、自分に自信を持てないまま悶々とした時間を過ごしていました。
そんな中、たまたまアルバイト情報誌にリバーガイドの求人を発見してすぐに応募しました。
リバーガイドが何かは、はっきり言ってその段階ではよく分かっていなかったけど、何かを変えるきっかけになるかもという予感はしていました。
生き方を変えた旅
夢と希望とギターを古いトヨタカローラに詰め込んで、江別市からニセコへと車を走らせたその旅が、自分の生き方を変える旅となりました。
その時は、自分に自信も無くて、本当に大丈夫なのかもわからなかったけど、とにかく一歩踏み出さなければいけないという思いが、強烈なその思いが自分の中にあって、その思いに突き動かされて、車に荷物を詰め込んで、半ば考えることを放棄して、ハンドルを握って家を出ました。当時僕は19歳でした。
リバーガイドとしての生き方

ずっとリバーガイドとして生きていく。
そんな風に思うようになったのは川で働き始めて2年後くらいから。
最初はあまりにも稼ぎが少なくて、お金もほとんど出ていく一方で、この生き方に将来を見いだすことは難しかった。
だけど、川で働く喜び、ガイドしたお客様が喜んでくれることで、自分の心も満たされていく喜び。
稼ぎは少なくても、今までに感じた事のない喜びがありました。
より良いリバーガイドになって、自分の人生を切り開いていきたい。
そう思うようになり、カナダや南米チリ、オーストラリアの川へと働きに行きました。

旅の中で出会う人達との様々なドラマ。
旅の中で本当に色んな事がありました。
もちろん良いことも、時には上手くいかないこと、葛藤や苦悩も……
色んな壁にぶち当たりながらも何とかやってきました。

今思うと、そのドラマは、人生を変えるために、19歳のときのあの最初の一歩があったから経験できたことなんだと思っています。
旅先で出会う人達と音楽

リバーガイドとしての人生の中で、僕はいつもギターを離さずに生きてきた。
そして、川から川へ旅するなかで、いつも音楽と川がそこにありました。
先の見えない生活の中で、様々な葛藤や苦悩を詩にしてギターを弾いて歌うことで僕の心は救われました。
リバーガイドとしての生き方に、希望を見いだそうとする中で、そんな思いをノートに書き続けて、そして出会った人達とのドラマや印象に残った瞬間を投影して詩を書くようになりました。
それを音楽で表現することが、自分がリバーガイドとして生きてきた中で、大事にしてきたことです。
リバーガイドとしての生き方と音楽は僕にとっては二つで一つなんだと思っています。
この二つがあって、今までやってこれました。
今は東京都青梅市を拠点にリバーボードクラブを運営しながら、シンガーソングライターとして活動しています。僕の音楽のベースにある世界は間違いなく「川とともに歩んだ人生の物語」。
明日も頑張ろう。そう思ってもらえると嬉しい。

僕が作って歌っている曲はどれも、自分が抱えてきた葛藤、愛情、探し続けてきた希望だったりします。
僕の歌を聴いて、「明日からまた頑張ろっかな」と思って貰えたら嬉しいです。
僕は川も音楽も、そういう思いで活動しています。